「森での活動が本会の教育目的に則っていることはわかりました。ではなぜ、今購入するのですか?来年じゃダメなんですか?または5年後じゃダメなんですか?」
なぜ、「今」なのか?
私自身自問自答してきた問いです。
美術家が新しいチャレンジをする時に、古いゲシュタルトを壊す必要があります。
古いゲシュタルトがどれだけ世間からの評価が高くても、自分自身で「古い」「つまらない」「飽きた」と感じるものにしがみつくのはアーチストとしてカッコ悪すぎます。私はそう思います。
芸術家としての断捨離ですね。
言葉として綺麗事は書けますが、いざ実践しようとするとかなり怖いですよ。
並々ならぬ勇気が必要です。
自分のアイデンティティーを失うくらいの恐怖を感じる人もいるでしょう。
ちなみに、私は大学3年の時からの6年間は「トイレの屋嘉部」と呼ばれていました。
6年間の間にトイレをテーマに数十点の作品を作ってきて、評価をいただいたりしていたので、「屋嘉部って誰?」・・「ああ・・あのトイレの人ね」と言われたりしていました。
その屋嘉部でしたが、1991年の第55回新制作展へ出品する作品(その名もタイトルがLast toilet)を最後に、トイレの制作を辞めちゃうことにしたのです。
理由はいたってシンプル・・「飽きちゃったから」です。
F60号の小さな作品とはいえ、最後のトイレシリーズということで半年以上もかけて制作し、何度見てもどこ1つ手を加えることがないパーフェクトな作品として完成させました。
そんな1つの大きな節目となる作品です。
それから数ヶ月後に、新制作協会の受賞作家展に出品したのが下の作品「Face」です。
この作品もとても思い出深い作品です。
これまでのトイレシリーズと比べて作品の完成度は落ちますが、新たなステップということでは手応えを感じた作品です。
そして、この作品ではとても面白いエピソードがあります。
受賞作家展のレセプション終了後に私は友人と一緒に銀座のライオンでソーセージをつまみながら大好きなサッポロビールを飲んで談笑していました。
すると、数席向こうに新制作の会員で大学でお世話になったX教授がご家族で食事をなさっていました。
それに気づいた私は、席を立ってX教授のところに行って挨拶をしました。
すると、X教授は私の顔を見るなりものすごい勢いでお説教を始めたのです。
X教授:「お前は、トイレの屋嘉部でみんなが覚えているんだからトイレを続けろ!なんで作風を変えるんだ!」っと、そんな感じです。
当時の私は、兎にも角にも偉そうにする大人が大嫌いでたまらなかったこともあり(エディプスコンプレックスによるものだったと数年後にわかるですが)、X教授のご家族がいる前で逆お説教をかましてしまったのです。
私:「先生、あなたの言っていることはおかしい!普通、教え子がこれまでの作風を捨てて新しい作品に挑戦しようとしていたら励ますのが先生でしょ!作風を変えるなというアドバイスをするなんて先生失格じゃないですか?」
X教授:「ふざけるな!なに生意気なこと言ってるんだ!」
私:「ふざけてるのはあなたです。あなたがそんなことを言うのなら、もう私のことは構わないでください。失礼します。」
X教授は相当に頭にきたんでしょうね。青二才の若造に逆ギレされて、「あなたは先生失格だ!」なんて言われたんですからね。
翌朝、別のZ教授から電話がありました。
Z教授:「X先生が相当君のことを怒っているけど何があったんだい?」
私:「いや、怒っているのは私の方です。あまりにも大人気ないことを言うので、言うべきことを言ったまでです」
あれ?今振り返ると・・あの時に・・「はい!すみません。以後気をつけます。今後ともよろしくお願いします」なんて言っていたら、昨今のスポーツ界で起きている問題のようなドロドロした主従関係に巻き込まれていたのかもしれませんね。クワバラクワバラ・・
みなさん、誤解しないでいただきたいのですが・・・
新制作協会は数多くの美術団体の中では最も公平で権威主義ではない美術団体の1つです。
フェアーな団体だからこそ、こんな私でも30年間所属してこられました。
しかし、どんな素晴らしい団体にも、たくさん人が集まれば権威的に振る舞いたい人の一人や二人はいます。
私は新制作協会の会員をやめましたが、会が嫌いでやめたのではありません。
「飽きちゃったから辞めたのです」
そして、私はX氏には今ではとても感謝しています。
私はX氏のようなアドバイスを生徒や学生には絶対にしませんが、X氏はX氏らしいパーソナリティーで親身に私のことを思ってアドバイスをしてくださったのだと思います。今となってはそのお気持ちには感謝しています。
そして、X氏が「お前はトイレじゃなきゃダメなんだ!」と言った最低のアドバイスが私の心に火をつけてくれました。
あのアドバイスのおかげで私は新しいシリーズに熱が入りました。
その甲斐あって、私はその年と翌年に新しいシリーズで大きな賞をいただきました。
・・・・
さて、話を戻します。
なぜ、この鴻巣の森を「今」買うのか?
私たちは、新しいことに常にチャレンジする必要があるからです。
常に新しいことにチャレンジできる人たちを本会の先生として採用しています。
私たちの生き方、選択の仕方を生徒たちも保護者も見ています。
5年前・・または2年前は議論にさえ上がらなかった「山を買おう!」が、昨年議論として上がった。
私の中では10年以上前から「いつか山を買う」とあたためていた大きな買い物です。
それを昨年初めて仲間の前で口にしました。
「山を買いたい」
なぜ、「今」か?
私の中では、「今なら」山を買いそれを活用する体力が付いた、人が育ったという実感があったからです。
そして、何と言っても「机の上だけでアートをすることに飽きたから」です。
赤ちゃんが這い出す・・立ち上がる・・歩き出すのは、次のステップに進む体力がついたからです。
今に満足することなく、成長に合わせて次のステップへとチャレンジしているということです。
歩くよりも這う方が安心で安全です。
でも、赤ちゃんはリスクを恐れず、「這う」という古いゲシュタルトにしがみつくことなく、「歩く」という新しいゲシュタルトへチャレンジする。何度しりもちをつこうともめげずにチャレンジし続ける。
私たち芸術による教育の会は、この少子化と言われる中で毎年生徒数を増やし続けています。
今のところ、今のやり方で安心であり安全なんです。
でも、「うまく行っているんだから維持するだけでいい」「変わる必要はない」、そんな姿勢を子供達に誇れますか?
立ち上がって歩き出そうとする赤ちゃんに誇れますか?
「広大な森」という新しいキャンバスを広げ、今まで経験したことのない「芸術による教育」を描きはじめる!
なぜ「今」この森を買うのか?
「今じゃなきゃいつなんだよ!」と逆に質問を投げかけたい。
今はじめられないような人はいつになっても始められません。
私たちが本物のチャレンジャーなら・・
「いつはじめるの?」
リスクを恐れず答えたい・・
『まさに、今しかないでしょ!』
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PROFILE
-
沖縄生まれの大阪育ちの千葉県野田市在住
多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業
横浜美術大学絵画コース非常勤講師
大学四年生から芸術による教育の会で美術教室教師としてアルバイトを始め、大学卒業とともに同会に入社。
美術家として個展やグループ展など多数発表を続け、新制作協会に所属。
50歳を機に人生をリセット
・右利きを辞めて左利きとして生まれ変わる
・やりたくてやらなかったことを全てやる
52歳で新制作協会会員を退会
53歳でこれだけはやめられない一番好きなお酒をやめる
・芸術による教育を全国に広める伝道師として芸術による教育の会GMとなる
・「紙コップのインスタレーション」を各地で実施。
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