「働きアリ」と「怠けアリ」と「協調性」と 「独自性」


先日、美術教室でレッスンを終えて外の庭で遊んでいた子どもたちが「先生、せんせい! ものすごいいっぱいアリがいるんだよ!」と呼びに来たので行ってみると、遠目から見てもわかるほどの黒い塊がゆっくりと同じ方向に移動しているのが見えました。どういう理由かはわかりませんが何万、何十万匹のアリが集団移動しているようでした。「みんなでご苦労様、踏んづけられないように気をつけてくださいね」と心の中で声をかけるのみでしたが、

まあ、この出来事はさておいて、「アリ」というと以前にどこかで読んだ「働きアリ」

「怠けアリ」の記事を思い出します。

内容はというと、ある研究者が働きアリについての法則を発見したというもので、アリの集団の中には 良く働くアリのほかにいつも怠けているアリが必ず何割かは、いるそうです。(アリとキリギリスのお話ではアリは働き者でキリギリスが怠け者でしたが、アリの中にも怠け者がいるのですね)

アリの集団から良く働くアリばかりを集めて別に集団を作ると、またその何割かは前と同じように怠けアリが出来るそうです。

こんなことを聞くと、「そうだよな! みんながみんな一生懸命働くことないよな! ちょっとくらい怠けてもいいよな!」と、私のふやけた心は 怠けアリ派に賛成の手を挙げてしまいます。

反対に怠けアリばかりを集めて別の集団を作ると、やはりそのうちの何割かは良く働くアリに変身し、前と同じような集団構成になっていくそうです。(ずっと怠けアリでいるわけにはいかないのですね、、反省、、)

美術教室の子どもたちをこの働きアリの法則に当てはめるわけにはいかないのですが、制作の時の「協調性」「独自性」に通じるものがある気がします。

美術の世界では、「独自性」オリジナリティがある作品や作者が評価されます。他の人の作品を真似したりアイデアを盗用したりすれば罪に問われることさえあります。

反対に「協調性」はあまり高い評価を受けません。どこにでもある表現と言われてしまい埋没してしまうこともしばしばです。

しかし、です。

「協調性」がなければ「独自性」も生まれないとも言えます。

ありふれた表現があるからこそ、オリジナリティを求める気持ちが生まれる。

協力してコツコツと働くアリがいるからこそ、怠けていられるアリがいる。(なんか怠け派を擁護してる? まあいいか)

絵を描き始める時期の2、3才の子どもたちは、誰かの真似をするわけではないのですが、自然に同じような表現に落ち着いていきます。「独自性」を持って表現しているのですが、出てくる表現はみんな似ているのです。(擦画期、錯画期)  

しばらくすると思った形が描けるようになって、お母さんのお顔なんかを描くようになります。愛情を「協調性」という形で表しているのかもしれません。

また、しばらくすると幼稚園保育園、学校などの社会生活が始まり、お絵かきや図工という時間の中で「協調性」や「独自性」を外から求められるようになるのです。

それまで自分が思うように表現していたものを、外の様子を感じながら変えていくことになるのです。

集団の状況によって「働く」のか「怠ける」のか変化していくアリのように

しかし幸い美術というのは、いい意味での「ゆるみ」があると思っています。

技術を磨いていくことは、もちろんいいことですが、技術がそれほどでなくても、発想やアイデアによって面白い作品を生み出すことはできるのです。

また、オリジナルのアイデアを持っていないとしても、ルールにそってコツコツと制作していくことで良い作品が生まれ、気持ちを安定させることもできるのです。

どんなテーマであっても自分の「独自性」「協調性」を自由に選択し発揮させられるのです。

アニメキャラクターを何度も真似したり、仲良しのお友だちとそっくりの絵を描いている子も、いずれ自分のオリジナル作品を作りたい欲求にかられるでしょう。

いつも自分のテーマを持って好き勝手に制作している子も、より高いクオリティの作品作りのためにデッサンをはじめるかもしれません。

美術を大好きな子どもたちが、「どっち派」を求めているのかを感じていられる存在でありたいと思っています。

下段登




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