さる10月の13日、鴻巣の家や森をご提供下さったT様にお誘いいただき、鴻巣の花火大会を見に行きました。
ギネスブックに載るほどの大規模の花火大会で、どでかい四尺玉もあがると聞いて期待して観にいきましたが、その期待を何十倍も上回る感動をもらいました。
鴻巣駅から会場になっている荒川土手の周辺にかけてはすごい人出で普通に歩くのもままならないという状況でしたが、場所取りしてもらったシートの上に座って花火が始まると、花火の美しい演出と色彩と音の迫力に打ちのめされてしまいました。2時間ほどの花火を見終えて仲間とともに感動を分かち合いましたが、
「なぜ、花火を観て心を揺さぶられるほど感動するのだろう?」
という話になりました。
花火師の方々の演出や、花火の規模など色々な要素はあるとは思いますが、
「消えて無くなるからこそ感動があるのではないだろうか?」となりました。
全く消えて無くなってしまうからこそ何十万人もの人たちが、わざわざ遠くから観に来るのだと。その儚さこそが感動を呼ぶのだと。
なるほどそのとうりだと感じます。
毎夜毎夜、夜空にあの花火が上がっていたら、あの感動は無いでしょう。まあ、逆にそうなったら花火があがらない日があると寂しい気持ちになるのかもしれませんが
話は変わって、美術教室の年に一度の展覧会(明日への手美術展)へ向けて子どもたちが制作を始めています。
言うならば展覧会は美術教室の花火大会です。
子どもたちの中には、
展覧会に向けていい作品を描こうと力が入っている子もいれば、
展覧会はイヤだなと思っている子もいます。作品を並べて見せる事に期待している子もいれば、人に見られるのが恥ずかしいと感じる子もいるのです。
そのようなこともふまえて、教師の立場の私は展覧会に向けて「ガンバレ!」と応援もしますが、反対に「がんばりすぎないでいいんだよ」とも言います。「普段のままの自分の作品でいいんだよ」「自分で好きなものをなんでも描いていいんだよ」と
このように伝えると、子どもたちは「ホントになにを描いてもいいの? キャラクターでもいい?」と聞いてきます。
「いいよ、なんのキャラクターを描きたいの?」とこちらも聞いてみると、子どもたちは「ポ◯モン! ド◯ゴンボール!」と
うれしそうにこたえます。「なるほど、でもそのキャラクターは人気だからな、本気で描かないと他の作品に負けちゃうぞ!」と少しだけ引き締めます。
「じゃあ、自分で考えたキャラクターでもいいの?」と聞いてきます。「それは面白そうだな、楽しみだな!」というと、すごくいい表情をしながらクロッキー帳に一生懸命に描いています。「出来た! 先生、見て!」と見せに来ると、「バカバカマン」という黒と赤のツートーンカラーのキャラクターが出来上がっていました。(汗)
展覧会も花火大会のようにその時の展示で終わってしまうという儚さを持っています。そしてそこに展示される作品は子どもたちの成長過程の一瞬が切り取られたものなのです。時間が経てば二度と同じ作品は現れないのです。
そう考えると展覧会というイベントは本当に貴重なものであり、自然に多くの感動が生まれてくるのだろうと思います。
展覧会の開催に向けて、子どもたちのひとつひとつの個性ある作品という花火を、感動的に打ち上げられるよう努めていきます。
下段 登
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