「絵をキライにする方法」

絵を嫌いにする方法を教えましょう。

いきなり、「絵をキライにする方法」って、なんだかネガティブというか、挑戦的というかひねくれたタイトルですが・・

大人になると、「私は絵が苦手です。」「観るのは好きだけど描くのはキライです。」という人が多いですよね。

学童前は楽しかったのにね。

幼稚園・・そして小学校に行くと絵が苦手な子どもや絵がキライになる子どもが徐々に増えて来ます。

「学校で一番好きな教科は何?」って聞くと・・

多くの子どもが「図工!!」って答えます。

しかし、図工って答えた子どもでも工作は好きだけど絵は苦手とか絵は嫌いという子も少なくありません。

成長とともに興味も変わりますから「絵が嫌いになった」というのはわからなくもないのですが、幼い頃に絵を描くのが好きだった子どもが成長すると絵が苦手になるというのはおかしな話です。

だんだん下手になるわけではないはずですから。

そもそも、「絵が苦手」というのは誰かと比較した時に感じることではないでしょうか。

いわゆる、「上手だね」とか「下手だね」と誰かに絵を評価されたり、自分自身で友達などと比較して感じることだと思います。

他の教科では、苦手でも嫌いでも進学の時または将来に必要だからと親も教師も叱咤激励またはなだめすかしてでも勉強させます。

しかし美術は、「進学に影響しない」「別に絵が描けなくても将来困ることはない」という理由などもあり、次第に興味もやる気も失うのではないのでしょうか。

そもそも、幼稚園や学校で美術教育をする目的は絵を上手にすることなのでしょうか?

「すごい!上手だね!」と褒める時って、実は褒めている人はその絵の作者の意図するところや本当に見て欲しいところや感じて欲しいところには気づいてあげていない時に出る言葉です。

表面的な見た目でしか作品を見ておらず、まったく作者の意図に興味がない時に、私たちは「上手だね。」と軽々しく口にするのではないでしょうか。

幼稚園や学校で美術教育をする目的は絵を上手にすることではありません。

例えると、俳句の名人たちがある歌会に出席したとしましょう。松尾芭蕉のように読めば上手なんだねと思い、「閑けさや岩にしみ入る蝉の歌」と読むことに意味があるでしょうか?

一語一句違わないとは言わないまでも、芭蕉の句を参考にアレンジして上手な俳句に仕立て上げることが本当に優れた作品(表現)と言えるのでしょうか?

美術の時間に「ひまわり」をモチーフに描くとしましょう。

ある生徒が「それならゴッホのように描こう!」と画集などで刷り込まれたイメージをヒントにそれこそゴッホっぽく上手に描き上げたとしましょう。

他の生徒たちは一様に「すごい!上手!」っと尊敬の気持ちで声をあげるでしょう。

さて、教師も生徒たちと同じような反応をしますか?

私ならしません。

とはいえ、もちろん、その生徒がゴッホに憧れて真似をしたいと思う素直な気持ちを踏みにじるような意見は言いません。

私ならその生徒にたくさんの質問します。

「どうしてこんな風に描きたいと思ったの?」

「へえ!ゴッホを知っているんだ。」

「ゴッホの絵は好き?」

「なるほど、それでゴッホみたいに描けたらいいなあと思ったんだね。憧れだね。」

「仕上がった絵を見てどう感じる?」とまた質問をします。

そして、その素直に感じた気持ちを共感し応援します。

加えて、ゴッホのひまわりにはない要素が描かれていたら、むしろそこを大げさに褒めるでしょう。

憧れを持つこととそれに近づきたいと努力したその生徒の気持ちと満足いくまで描けたと本人が感じた素晴らしさをみんなに伝えます。

そして、もちろん他の生徒たちにも同じようにたくさんの質問をします。

「ひまわりを見てどう感じたのか?」

「それをどのように描けたらいいなあと思ったのか?」

「そして描いて見てどう感じたか?」

「出来栄えに満足か?」

「満足なら、自分の絵をどこをどう褒めてあげたいか?」

「物足りないなら、どこがどうなれば満足なものになりそうか?」とたくさん質問をします。

そして自分のアイデアを形にすることが如何に難しいことかをみんなに伝え、誰とも違うことを表現するのだから失敗して当たり前、上手く描けないで当たり前、チャレンジする気持ちが素晴らしいということを伝えるでしょう。

本人の計画やアイデア、気持ちや感じたことを聞かないことにはアドバイスはできません。

まして評価などできるわけがありません。

ちゃんと丁寧に質問をすれば、教師が評価などしなくても本人が自己評価をします。

その自己評価が少しでも上がり、自己肯定感につながるように背中を押してあげるのが教師の役目です。

子どもに質問をしないで、「君の作品はここをもっと丁寧に描けば良くなるよ」とか「こういう風にかけば良くなるんじゃない」とか「ここを書き直したほうがいい」など失礼なアドバイスする先生がいます。

私はそういう教師に「お前は神か!」と腹が立ちます。

(神様ごめんなさい。きっと神様はそんな余計なアドバイスはしませんね。)
薄味が好きな人に、「塩と砂糖が足りていないね。」と自分の好みを押し付けるようなものです。

「これが美味しいなんてセンスないねえ」と言っているようなものです。

まるで自分こそが正しい答え、正しい感性を持っているかのようです。

他人の心がわからないように、また他人の心がコントロールできないように、

親でもわからない子どもの心を教師がわかるはずがありません。

他人の心はわからない。だから質問をする必要するがあるんです。

生徒全員違う考えを持っています。
生徒のアイデアや感じたことや気持ちを聞かないことにはアドバイスなどできません。

子ども達の心を踏みにじる上から目線の評価やアドバイスが、絵が嫌いな子どもをつくっています。
残念でなりません。

「上手だね」とか「下手だね。」と評価された子ども達は、その価値観で友達の絵を評価します。

最初にその間違えた価値観を植え付けたのは大人です。

教師は、そういう偏った狭い価値観での評価から子ども達を守るのが仕事のはずです。

子ども達一人一人の個性の違いを認め伸ばしてあげるのが教師の仕事です。

教師の仕事は、決して自分の価値観の枠にこども達を閉じ込めることではないはずです。

「絵をキライにする方法」はとても簡単です。

子どもの絵を「上手」「下手」で評価すればいいのです。
関心を持って質問することなく、

身勝手なアドバイスをすればいいのです。

教師としての仕事の手を抜けばいいのです。

「絵を好きにする方法」がとても難儀なんです。

教師の心のしなやかさと懐の深さ、視野の広さ、質問力、聴く力、共感力など教師としての総合力が問われるのです。

子どもは、「大人になる途中の未成熟な人間」ではありません。

子どもは、大人が忘れてしまった素晴らしい子どもの世界の中で生きています。

私たち教師は、子ども達にたくさん質問することで遠い昔に忘れてしまった素晴らしい子どもの世界を思い出しましょう。子ども達から教わりましょう。子ども達の自由奔放な発想は私たち大人にこそ必要なものだと思います。

「私は絵を描くことが大好きです」と言える人は、「私は感じたままを素直に表現していいのです。」と思える人です。

子ども達がずっと絵を描くのが大好きでいられるように、子どもが描いた絵に関心を持ってたくさん質問をして、励まし応援しましょう。


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PROFILE

屋嘉部 正人
屋嘉部 正人芸術による教育の会GM
沖縄生まれの大阪育ちの千葉県野田市在住
多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業
横浜美術大学絵画コース非常勤講師

大学四年生から芸術による教育の会で美術教室教師としてアルバイトを始め、大学卒業とともに同会に入社。

美術家として個展やグループ展など多数発表を続け、新制作協会に所属。

50歳を機に人生をリセット
・右利きを辞めて左利きとして生まれ変わる
・やりたくてやらなかったことを全てやる
52歳で新制作協会会員を退会
53歳でこれだけはやめられない一番好きなお酒をやめる
・芸術による教育を全国に広める伝道師として芸術による教育の会GMとなる
・「紙コップのインスタレーション」を各地で実施。