研究ノート

芸術による教育の会研究部長:佐藤かよこ

芸術による教育の会副理事長:寺尾憲



となりの子供はよく見える

 人間の価値判断は常に『比較』により行われます。学校の成続(通信簿)や受験の時の偏差値や順位などはその典型と言って良いでしょう。なぜなら、その子供の絶対的な評価などできるわけがないからです。まして、その子供の全人格(知能、情緒、意志)の優劣の判断の絶対的な評価など複雑で難しすぎてできるわけがありません。

 では、どうやって人間は、『ある人』の評価を行うのでしょうか。
 答えは簡単です。『部分』を他と比較し、優劣を決めているのです。人生経験が多くなると、比較する『部分』の数が増えていくので、比較的正確にその人物の『評価』ができるようになってきます。
 子供は、ある物(人物)を評価するとき、一つか二つの『部分』の優劣を判断して、それを『全体的な評価』としてしまいます。例えば、『あの子は算数がよくできるから、自分より、すべての面で、優秀である』 と考えてしまいがちです。
 にがて意識や劣等感はこんな単純なことから持ってしまうことが多いのです。一つの部分を比較して、それを全体に広げて判断してしまうことは、間違っているとわかっていても、つい、してしまいがちです。人間が『比較する動物』である限りしかたのないことです。

 『お隣りの、慶子ちゃんは、漢字がかけるのよ、それにひきかえ、うちの子は、ぐしゃぐしゃ書きしかできなくて、もういやになっちゃう。一体だれに似たんでしょうね。』
 『同じクラスのたかし君は、一人でお使いができるんですって、うちの子はだめね。どうしたらいいのかしら』
 もっと、深刻な場合もあります。『うちの子はまだおねしょうが止まらないのよ。他の子はもうとっくに卒業しているのに。』『うちの子は情緒不安で、すぐにヒステリーをおこすのよ。いいわねえ、おたくは、おっとりしていて』
 『うちの子は、のろまで、ぐずで、何をやっても遅いのよ。もうイライラしてくるわ。いいわよねえ、お宅は、シャキシャキしていて。』
 お母さんたちの井戸端会議での会話としては、ありふれたものでしょう。太文字の部分で、情緒不安でヒステリーはシャキシャキと裏表であり。のろまでぐずはおっとりと同意語であることに気がつかれたことでょう。

 子供の性格も見方によっては、長所にも短所にもなるのです。ここで重要なことは、『自分の子供のことについては、短所ばかりが目につき、他人の子供のことについては、長所ばかり目につく。』ということです。
 どの子供にも長所と短所があります。たいてい長所と短所は性格の裏と表の関係になっています。人間の理想的な性格をボールに例えたとしますと、長所は角のようにでっぱり、短所はあなぼこだと想像してください。普通の子供を例にとると、凸凹のボールになるのが一般的です。同じ形のボールはありません。大切なのは、全体的なボールの形であって、部分的な凹凸ではないのです。バランスがなによりも大切です。

 漢字のかける書ける子供がいたとします。近所の親は『すごい』『頭がいい』と思い、自分の子と比較します。しかし良く考えてください。幼児が漢字をたくさん書けるということは、親がかなり教え込んでいることが推測されます。やさしいお母さんんよりも厳しいお母さんの要素が多くなっており、その分、ストレスがたまり、情緒不安になっているはずです。そしてたまった分は、別の形で発散され、その子供の短所になっていくのです。何かが良ければ、他のどこかにひずみが生じるのです。角が長くて鋭ければ、穴も深いのです。
 でっぱり(角)ばかり見てはいけません。また穴ばかり見てもいけないのです。
 でっぱり(角)があまりに大きくて鋭いと、神経症になります。穴もあまり深すぎると、やはり神経症になります。精神医学での治療とは、社会に適応できる程度に、角と穴を少し削ったり埋めたりしているのです。
 自分の子供を他の子供と比較するときは、必ず、角と穴を同時に見てください。角と穴はたくさんあります。これらを同時に見れれば、羨望や嫉妬はすぐに解消されるはずです。

 このことは、子供ばかりではありません。ご主人(奥さん)を比較するときにも応用してください 隣のご主人(奥さん)については、いいところばかり見て、自分のご主人(奥さん)については、短所ばかり見るのでは、不公平です。いや、事実と反する評価をしてしまいます。
 角と穴を必ずセットで見ることを習慣づけて下さい。

 お見合いの時の『仲人口(なこうどぐち)』というのをご存じでしょうか。
*ふとめの人→グラマー。    
*のろまな人→落ち着いた人。
*わがままな娘→良家の子女。   
*うわきもの→活発なお嬢さん。
*ケチ→しっかりもの。     
*にやけた人→甘いムードの人。
*無口な人→にがみばしった人。  
*うわついた人→現代的な人。
短所を長所として見つめることができたら、家庭は安泰です。