研究ノート
芸術による教育の会研究部長:佐藤かよこ
芸術による教育の会副理事長:寺尾憲
3才頃から小学校の低学年頃までの時期をエディプス・コンプレックスの時期と言います。この時期において子供の大部分の性格が形づくられ、子供はその性格を生涯ひきずることになります。母と父と自分(子供)の三角関係が基本となり、父と自分、母と自分の関係から子供は男の子らしさ、女の子らしさを身につけ、性のちがいを認識し、男の子として又女の子として安定した情緒を身につけていきます。
『男の子は母と親密な愛情関係を結び、父とはライバル関係となる。一方、女の子は父と親密な愛情関係を結び、母とライバル関係となる。』
この原理が動物として自然のつながりであり、性の本能の基本です。
この時期において、父親と母親の子供に対する役割は非常に大切です。父と母の役割が逆転すると、子供の性の本能がゆがみ、心が正常に育たなくなります。すなわち男の子の心の女性化、女の子の心の男性化がおこってきます。
このことを現象的にみると、男の子は情緒不安になり、因果がとれないいわゆる「ぷっつん、とかピーターパン」と称される性格になってしまいます。又女の子はしっかりもので、きちっと何でもできるが、頑固で融通のきかない性格になってしまい、かわいらしさや愛らしさを失っていきます。
これから数回にわたって、父と母の役割について、兄弟を含めた父と母の対応の仕方について具体的に述べることにします。
母がやってはいけないこと
*口やかましく、干渉過多の母は男の子を情緒不安定にし、因果がとれない子を育てる。多くの母は男の子にしっかりしてほしい、男の子らしくなってほしいという願望から男の子にきびしく、口やかましく、ああしなさいこうしなさいと干渉過多になりがちです。しかし、男の子は結果として、いくじがなく、消極的で、情緒の変動がはげしくなり、母の前だけ良い子になり、幼稚園や小学校では集団生活の中で逸脱してしまいます。すなわち、「母のきびしさや干渉過多は男の子にとって百害あって一利なし」なのです。
*母親が女の子に口やかましく、厳しく、干渉過多になると、しっかりもので、努力するが、反面、頑固で融通がきかなくなります。女の子はこのような厳しい母に対して、ある時期から猛烈に反発し、口げんかでは母を上回るようになるのです。
もともと母と娘はライバルであるからある程度はしかたがありませんが、厳しすぎると手がつけられなくなります。
*母のヒステリーは子供に向けてはいけない。
ヒステリックに怒っても、子供はちぢみあがるだけで、困果を教えることは不可能です。なぜなら、母自身の因果がとれていないからです。子供はわけもわからずに母の気分と母の目だけを意識するようになってしまいます。
興奮しそうになったら台所で水を一杯飲むとか、子供から離れるかして、タイミングをはずすことが重要です。
*母は子供の前で父の愚痴をこぼしてはいけない。
父親は家庭の大黒柱であり、子供にとって最大の権力者であり、支記者である。特に男の子にとっての父は、きびしく、けむったい存在である。実は、これが父の理想的な姿なのであり、男の子が男らしく成長するために不可欠の要素なのです。
ところが、この父親の権威が母親の愚痴により崩壊してしまうのです。「給料が安い、帰りが遅い、酒ばかり飲んでいる、頼り無い、だらしがない、」という母の子供の前での愚痴は厳禁です。同様に、母は子供の前での夫婦喧嘩に勝ってはいけないのです。(父の権威の失墜がなぜ悪いかについては、次号の「父親の役割」で詳しく述べます。)
*母の干渉過多は百害あって一利なし。
すなわち、「ころばぬ先の杖」を子供に与えてはいけない。子供は失敗してはじめて痛さを知り、そうならないためにはどうしたら良いか、をはじめて考えるのです。
失敗する前に「こうしなさい」と指示したのでは何にもなりません。心や身体に傷を受けた時、母は心と身体でなでてそしてなぐさめ、こうならないためにはどうしたら良いかを教えることが重要なのです。ここが最大のポイントです。
*ボワーとして頼りない母が、男の子を男らしく、女の子を女らしく育てる。
完全さを見せようとする母親は失格です。自分の失敗を他に転嫁したり、ごまかしたり、言い訳をしたりせずに、「失敗しちゃったわ」と、かわいく子供に言える母親が最も良い母親なのです。
*子供が失敗したとき、怒るよりもなぐさめる方が先。
子供が失敗したり、ころんだり、心に傷を受けた時、母親の第一声は「大丈夫だった、痛かったでしょう、かわいそうに」とやさしくなぐさめることが重要であり、それから注意すべきである。「だめじゃないの。ポヤボヤしているから。何やっているの。」等という言葉を先に言ってしまう母親は失格です。子供は用心深くなり、消極的になってしまいます。